佛教大学ソフトボール愛好会の歩み

1985年当時
1985年当時

1982年(昭和57年)、佛教大学ソフトボール愛好会は発足しました。

 

ちょうど発足の1年前、京都市北区西賀茂中川上町の一角にあった佛教大学知恩寮(現・国際交流センター)に入寮していた田川、藤原らは、寮生同士、近所の公園でキャッチボールなどをしていました。そしてチームを作って・・・・という話になったようです。仲間内では、どんな種目(硬式・軟式・ソフト)にするかで意見が分かれました。

 

結局、あるものは軟式野球を選択し(現軟式野球部のルーツ)、田川・藤原らは、学科の友人などを誘ってソフトボールのチームを作りました。主将として磯本、副主将として田川・高村、統制として河内、主務として藤原、会計として1学年下の高菱、というメンバーでした。発足は1982年であったと思いますが、正式に「あみたあば」などに掲載されたのは1983年あたりからです。

 

大学内で公認団体となるには顧問が必要となります。その顧問になってもらったのが、知恩寮の仕事をされていた西川玄衛(にしかわ・はるえ)さんです。西川さんは、寮監の仕事を長くされていたこともあって、非常に「芸」達者な方で、「ハイライト」などのタバコを使った替え歌の芸を覚えているOBも多いのではないでしょうか。

 

1983年(昭和58年)は、前年度会計の高菱が主将となりました。そこに新しく津和、湯川、吉原、真木、横田等々、10名あまりの個性豊かな新入部員が入りました。また2名の女子も初めて加入し、女子部の原型が誕生した年でした。

 

1984年(昭和59年)には正式に女子部が発足しました。初代主将は柳原さん。男子主将は津和君。この年の夏合宿は愛知県知多半島にある海水浴場でした。そこへ団体で行くには、誰か大学の教職員の引率がないと割引を受けられない、顧問の西川さんはたまたま都合がつかない、ということで白羽の矢があたったのが太田でした。ソフトボール愛好会との関係が出来たのはそのときからなのです。

 

1985年(昭和60年)の試合風景

↑ユニフォームは赤が基調で、当時、広島カープの赤ヘル軍団が強い時代と歩調を合わしたかのようでした。 

 

 

 当時の思い出  ソフトボール愛好会が本気になりだした頃

 

 

その後、ソフトボール愛好会の部員は増加の一途をたどります。男女ともに関西リーグに加盟し、本格的なチームとして以降すすんでいくことになるのです。

 

1988年(昭和63年)に顧問の西川さんが退職され、1989年から顧問として太田貴久男が就任しました。1998年(平成10年)には、かつて高校球児の経験のある山添恭寛氏(通称zoeさん)がコーチに就任しました。山添氏は、技術的な面だけでなく、遊びとか勉強・進路の相談などについても一緒に語り合える指導者で、合宿での練習メニューであるシートノックは男女ともに必須のコーチ人気メニュー、名物メニューとなっています・・・・お世話になったOB数知れず。以降、選手は何かと世話になっております。


2005年(平成17年)男子関西ソフトボール連盟の春季リーグ戦において2部ブロック優勝・ブロック同士での決勝にも勝利し、1部昇格という快挙を成し遂げました(主将・長崎雅敏)

同年秋季リーグは、4回生も現役参加し、1部残留をキープしました。翌年(2006年)、春季リーグにおいて最下位となり、2部降格までの2シーズンを、1部の強豪大学と争うこととなりました。

 

これまで何度となく2部で上位に食い込み、あと一歩のところで1部昇格というチャンスを逃し、その壁は厚かったのです。この平成17年の「1部昇格」という快挙は、創部以来はじめての出来事でした。

 

↓2005年春季リーグ戦・・・1部昇格の選手たち

ところが、2006年、2部に降格し、2008年(平成20年)には3部降格という屈辱を味わいました。恒常的に選手が確保できる学内の某クラブと違い、入部希望者の増減により、チーム力が浮き沈みする我が愛好会の宿命です(だが、しかし、創立から約30年近くの間、途切れることなく続き、毎年のリーグに参加していることは、1部昇格という華々しい快挙の影で、本当の、正真正銘の、すごいことなのではないでしょうか、愛好会ですよ、つまり無所属公認団体、ボックスもないんですよ)。


2009年、春季リーグ戦において、3部Cブロックにて優勝し、A・Bブロックの勝者にも快勝して2部昇格を果たしました。秋季リーグにおいてもブロック優勝に絡む戦績を残しました(首位と同率で対戦成績により3位)。2010年度の春季リーグでは、2部で下位に落ち、3部上位チームとの入れ替え戦で負け、秋季リーグは3部スタートとなりました。しかし秋季リーグで奮起し、2部昇格を果たし、2011年度春季リーグでの2部優勝、1部昇格を目指して、日々練習に励んでいます。

 

女子はシーズンごとに予選があり、その結果にもとづいて部別リーグが行われています。2009年春季リーグ時点では、チーム最低人数に達せず、初の神戸学院大学との合同チームを編成するも、3部最下位という成績でした。

神戸学院大学との合同チームも新鮮でした
神戸学院大学との合同チームも新鮮でした

 

また秋季リーグでは、マネージャや4回生の参加も得て単独のチームで復帰しましたが、3部3位という結果でした。また2010年度の春季リーグでは単独チームの選手人数に達せず、また合同チームでも成立せず、試合には出られませんでした。その年の秋季リーグでは、新人も加入し、1シーズン開けての単独参加が実現。予選リーグの結果、3部スタート。1勝はしたものの、結果は最下位(4位)となりました。2011年春季リーグでの上位を目指して日々練習に励んでいます。

                                          (記・太田貴久男)

 

 

 


2017年(平成29年)3月現在で、OB.OGの人数は400名を越えました。初代から34期生までが卒業。現役生は35期~37期まで在籍しています。OB会も定期的に開催され、多くの関係者の参加で盛大に催されています。

 

 

追記

 

2014年4月より、太田貴久男から、それまでコーチとして選手を指導してきた山添恭寛が顧問に就任しました。なお太田は相談役として愛好会を側面より支援することとなりました。

山添顧問
山添顧問

 

追記Ⅱ

2015年4月より、コーチとして大学職員の海老原星太が就任しました。海老原コーチも高校野球の経験者で、合宿などでは山添さんのノックとは、また違ったソフトかつ大胆なノックをしてくれます。

海老原コーチ
海老原コーチ




2015夏合宿にて学生からの還暦祝いに喜ぶ
2015夏合宿にて学生からの還暦祝いに喜ぶ

追記Ⅲ

 

2017年3月 もと顧問・太田貴久男が佛教大学を退職し、大学キャンパスから退きました。4月以降は「ソフトボール愛好会相談役」として、試合や合宿を見に行っております。

 

 

佛教大学ソフトボール愛好会での学生たちとの出会いは、初代から数えてほぼ40年、私の人生の半分以上の関わりとなります(職員として就職して退職するまでの期間と重なります)。

このことは私の人生にとって大切な宝物だと思っています。

 

そして、これからも。

歴代集合写真

 

 

試合や合宿の写真です(随時増加中)

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